おもはん子を法師になしたらんこそは、いと心苦しけれ。さるは、いとたのもしきわざを、唯木のはしなどのやうに思ひたらんこそ、いといとほしけれ。精進物のあしきを食ひ、寐ぬるをも、若きは物もゆかしからん。女などのある所をも、などか忌みたるやうに、さしのぞかずもあらん。それをも安からずいふ。まして驗者[1]などのかたは、いと苦しげなり。御獄、熊野、かゝらぬ山なく步くほどに、恐しき目も見、驗あるきこえ出できぬれば、こゝかしこによばれ、時めくにつけて安げもなし。いたく煩ふ人にかゝりて、物怪てうずる[2]も、いと苦しければ、困じてうち眠れば、「ねぶりなどのみして」と咎むるも、いと所狹く、いかに思はんと[3]。これは昔のことなり。今樣はやすげなり。
大進生昌が家に、宮の出でさせ給ふに、東の門は四足[4]になして、それより御輿は入らせ給ふ。北の門より女房の車ども、陣屋の居ねば入りなんやと思ひて[5]、髮つきわろき人も、いたくもつくろはず、寄せて下るべきものと思ひあなづりたるに、檳榔毛の車などは、門ちひさければ、さはりてえ入らねば、例の筵道しきておるゝに、いとにくく腹だたし
- ↑ 修驗者、加持祈禱者
- ↑ 調伏する
- ↑ 窮屈にて心中いかに苦しからんと氣の毒也
- ↑ 四足門、四本柱を四方に添え造れる門
- ↑ 宮中の如く左右衞門の陣所の宿直人も居るにあらねば只乘車のまま入るべき事と思ひて