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級中のどれだけの部分であつたかは分らないが、その部分だけは自ら共產主義者󠄃と稱してゐた。それはもとより粗雜な、荒󠄃削󠄃りの、純然たる本能的共產主義ではあつたが、それでもその主張はよく急󠄃所に當つて、勞働階級の間に有力となり、フランスのカベー、ドイツのワイトリングのやうな、空󠄃想的共產主義を產出してゐた。そこで一八四七年においては、社󠄃會主義は中流階級の運󠄃動であり、共產主義は勞働階級の運󠄃動であつた。また少くとも大陸においては、社󠄃會主義は『品のよいもの』であり、共產主義は全󠄃くそれに反してゐた。そして我々の意見は最初から、『勞働階級の解放は、勞働階級自身の行動でなければならぬ』といふのであつたから、この二つの名稱のいづれを選󠄄ぶべきかについて、疑ひの起󠄃るはずがなかつた。それに我々は、その後といへども、かつてこの名を排斥したことはないのである。

 この『宣言』は二人の合作であるけれども、その核子を形成する根本の提案