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Page:Kyoosantoo-Sengen.pdf/16

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  1. (1) ラサールは個人として我々に對する時には、常にマルクスの弟子たることを承認し、從つてまた、『宣言』の論據の上に立つてゐた。しかし一八六〇年から六四年までの公の運󠄃動においては、彼は、國家の保護を受ける組合工場の要求以上に進󠄃まなかつた。 引用エラー: <references> で定義されている「0-1」という名前の <ref> タグは本文中で使用されていません。

 かくて『宣言』そのものも再び表面に現はれた。ドイツの原文は一八五〇年以後、スヰス、イギリス、およびアメリカで幾度も飜刻󠄂され、一八七二年にはニューヨークで英文󠄃に譯されて、『ウードハル・エンド・クラフリン週󠄃報』に揭載され、そのイギリス譯からして同地の佛文雜誌『社󠄃會主義者󠄃』にフランス譯が現はれた。その後アメリカで發表された英文の抄譯が少くとも二種あつて、しかもその一種はイギリスで再版された。また、第一のロシヤ譯はバクーニンの手になり、一八六三年頃、ジェネバなるヘルチェンの雜誌『コロコロ』の發行所󠄃から出版され、第二は女丈󠄃夫ウエラ・サスリッチの手になり (2)[1]、一八八二年、同じくジェネバで出版された。また一八八五年、コペンハーゲン發行の『社󠄃會

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