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ッド・レパブリカン』に現はれた。オランダ譯とポーランド譯もまた次󠄄いで刊行された。

 プロレタリヤとブルジョアとの最初の大合戰たる、一八四八年六月のパリ一揆が敗北した時、ヨーロッパ勞働階級の社󠄃會的および政治的活動は、また暫く後方に押しこまれてしまつた。その後、權勢の爭奪は、二月革命以前󠄃とおなじく、また有產階級の諸󠄃黨派󠄄の間にのみ行はれ、勞働階級は僅かに政治的自由のために戰ふこととなり、中流階級急󠄃進󠄃派󠄄の左翼󠄅たる地位に引下げられた。そして獨立のプロレタリヤ運󠄃動がなほ多少の生氣を示してゐるところでは、容赦もなく叩き伏せられてしまつた。かくてプロシャの警察は、當時ケルンにおかれてあつた『共產主義同盟』の本部を搜し出した。それで、本部員はみな捕縛され、十八箇月の監禁の後、一八五二年十月、初めて公判󠄃に付された。この有名な『ケルン共產黨裁判󠄃』は十月四日から十一月十二日まで繼續し、被吿のう