Page:Kokuyakudaizokyo-kyobu-12.pdf/45

提供:Wikisource
このページは校正済みです
(1) 僅にても聞きては、法に隨ひ、義に隨ひ、大法小法の依行者となり、身に苦等を知りて、四聖諦を見ると解せり。 (2) 比丘には種々の義あれど、中に乞人、乞士等と譯し、他に食を乞ふものゝ義ありとなす。 (3) 權ははかり、衡はおもりなり、權衡を取りて物を量らんとするものは、多きに過ぐれば取去り、少ければ更に加ふ、惡を棄てて善を取るも亦斯の如し。 (4) 勝法とは戒定慧解脫解脫智見を云ふ、此の蘊等の世界に於て、衡を擧げて度るが如く、此等は內蘊なり、此等は外蘊なり等、斯の如の法により、兩義共に量るを云ふ。 (5) 內外上下等の別を知るの意。 (6) 聖者の原語、Ariyaアリヤ の aria には「敵」の意あり、故に生命を害ふ云云と云ふ。 (7) 四作淨戒又は十三頭陀行を行ふを云ふ。 (8) 三藏學を習するを云ふ。


道品だうほんだい二十

273 (1)だうみち最妙さいめう(2)諦理たいり最上さいじやう離欲りよくほふ最勝さいしようにして、(3)具眼者ぐげんしや兩足中りやうそくちう最尊さいそんなり。

274 知見ちけんきよくするのみち〔のみちに〕ほかならず、汝等なんぢらみちめ、困惑こんわくするものなり。

275 汝等なんぢらいちけば、苦盡くじんたつす、われ(4)除箭ぢよせんの〔ほふ〕をりて、汝等なんぢらのためにみちきたり。

276 汝等なんぢらのなすべきは努力どりよくなり、如來によらい說者せつしやなり、禪思ぜんしひとにして〔みちを〕くものはばくのがる。

277 「一切行さいぎやう無常むじやうなり」と、もつかくごととき苦界くかい嫌厭けんをんじやうおこる、(5)じやうるのみちなり。

278 「一切行さいぎやうなり」と、もつかくごととき苦界くかい嫌厭けんをんじやうおこる、じやうるのみちなり。

279 「一切法さいほふ無我むがなり」と、もつかくごととき苦界くかい嫌厭けんをんじやうおこる、じやうるのみちなり。