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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/363

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かくかくして聽聞し侍りしに、優なる女の、すがたにほひ人よりことなるが、わけ入りて膝に居かゝれば、にほひなどもうつるばかりなれば、びんあしと思ひてすりのきたるに、なほ居寄りておなじさまなれば立ちぬ。その後ある御所さまのふるき女房の、そゞろごといはれしついでに、「むげに色なき人におはしけりと見おとし奉ることなむありし。なさけなしとうらみ奉る人なむある」とのたまひ出したるに、「更にこそ心えはべらね」と申して止みぬ。この事後に聞き侍りしは、かの聽聞の夜、御局のうちより人の御覽じしりて、さぶらふ女房をつくりたてゝいだし給ひて、「びんよくばことばなどかけむものぞ。そのありさま參りて申せ、興あらむ」とてはかり給ひけるとぞ。

八月十五日、九月十三日は婁宿なり。この宿淸明なるゆゑに、月をもてあそぶに良夜とす。

しのぶの浦のあまのみるめも所せく、くらぶの山ももる人しげからむに、わりなく通はむ心のいろこそ、淺からずあはれと思ふふしぶしの、忘れがたきことも多からめ。親はらからゆるし、ひたぶるにむかへすゑたらむ、いとまばゆかりぬべし。世にありわぶる女の、似げなき老法師、あやしのあづま人なりとも、にぎはゝしきにつきて、「さそふ水あらば」などいふを、なかうどいづかたも心にくきさまにいひなして、しられずしらぬ人を迎へもて來らむあいなさよ。何事をかうち出づることの葉にせむ。年月のつらさをも、分けこしは山のなどもあひかたらはむこそつきせぬことの葉にてもあらめ。すべてよその人のとりまかなひたらむ、うたて心づきなきこと多かるべし。よき女ならむにつけても、品くだりみにくゝ年もたけな