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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/362

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に聞ゆといふ句あり。陽唐の韻と見ゆるに、百里あやまりか」と申したりしを、「よくぞ見せ奉りける、己が高名なり」とて筆者の許へいひやりたるに、「あやまり侍りけり。數行となほさるべし」と返事はべりき。數行もいかなるべきにか。もし數步のこゝろか、おぼつかなし。
一人あまた伴ひて、三塔巡禮の事侍りしに、橫川の常行堂のうち、龍華院と書けるふるき額あり。「佐理、行成の間うたがひありて、いまだ决せずと申し傳へたり」と堂僧ことごとしく申し侍りしを、「行成ならば裏書あるべし。佐理ならば裏書あるべからず」といひたりしに、裏は塵つもり、蟲の巢にていぶせげなるを、よくはきのごひておのおの見侍りしに、行成位署名字年號さだかに見え侍りしかば、人みな興に入る。
一那蘭陀寺にて道眼ひじり談義せしに、八災といふことを忘れて、「誰かおぼえ給ふ」といひしを所化みなおぼえざりしに、局のうちより、「これこれにや」といひ出したれば、いみじく感じ侍りき。
一賢助僧正に伴ひて、加持香水を見はべりしに、いまだはてぬほどに僧正かへりて侍りしに、陣の外まで僧都見えず。法師どもをかへして求めさするに、「おなじさまなる大衆多くて、えもとめあはず」といひて、いと久しくて出でたりしを、「あなわびし、それもとめておはせよ」といはれしに、かへり入りてやがて具していでぬ。
一二月十五日月あかき夜うちふけて、千本の寺にまうでゝ、うしろより入りて一人顏ふ