Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/358

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別當入道さる人にて、このほど百日の鯉を切り侍るを、今日かきはべるべきにあらず、まげて申しうけむとてきられける、いみじくつきづきしく興ありて人ども思へりけると、ある人北山太政入道殿〈公經〉にかたり申されたりければ、かやうのことおのれは世にうるさく覺ゆるなり、切りぬべき人なくばたべ、きらむといひたらむはなほよかりなむ、なんでふ百日の鯉を切らむぞとのたまひたりし、をかしくおぼえし」と人のかたり給ひける、いとをかし。大かたふるまひて興あるよりも、興なくて安らかなるがまさりたるなり。まれびとの饗應なども、ついでをかしきやうにとりなしたるも誠によけれども、たゞそのこととなくてとり出でたるいとよし。人のものをとらせたるも、ついでなくてこれを奉らむといひたるまことの志なり。惜むよししてこはれむと思ひ、勝負のまけわざにことづけなどしたるむづかし。

すべて人は無智無能になるべきものなり。ある人の子の見ざまなどあしからぬが、父の前にて人とものいふとて史書の文をひきたりし、さかしくは聞えしかども、尊者の前にてはさらずともとおぼえしなり。

又ある人の許にて、琵琶法師の物語をきかむとて、琵琶を召しよせたるに、ぢうのひとつ落ちたりしかば、「作りてつけよ」といふに、ある男の中にあしからずと見ゆるが、「ふるきひさくの柄ありや」などいふを見れば、爪をおほしたり。琵琶など彈くにこそ、めくら法師の琵琶、その沙汰にもおよばぬことなり、道に心えたるよしにやとかたはらいたかりき。「ひさくの柄はひもの木とかやいひて、よからぬものに」とぞある人仰せられし。わかき人は、すこし