Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/342

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さやうの事に心えたるものに候ふ」と申されければ、「その男尼が細工によもまさり侍らじ」とてなほ一間づゝはられけるを、義景「皆をはりかへ候はむは、遥にたやすく候ふべし。まだらに候ふも見苦しくや」とかさねて申されければ、「尼も後はざわざわとはりかへむと思へども、今日ばかりはわざとかくてあるべきなり。物は破れたる所ばかりを修理して用ゐることぞと若き人に見ならはせて、心づけむためなり」と申されける、いとありがたかりけり。此を治むる道儉約を本とす。女性なれども聖人の心にかよへり。天下をたもつほどの人を子にてもたれける、誠にたゞ人にはあらざりけるとぞ。

城陸奧守泰盛は、さうなき馬乘なりけり。馬をひきいださせけるに、足をそろへてしきみをゆらりと超ゆるを見ては、「これはいさめる馬なり」とて鞍をおきかへさせけり。また足を延べてしきみを蹴あてぬれば、「これはにぶくしてあやまちあるべし」とて乘らざりけり。道を知らざらむ人、かばかりおそれなむや。

吉田と申す馬乘の申し侍りしは、「馬ごとにこはきものなり。人の力爭ふべからずと知るべし。乘るべき馬をばまづよく見て、强き所弱き所を知るべし。次に轡鞍の具に危きことやあると見て、心にかゝることあらば、その馬を馳すべからず。この用意を忘れざるを、馬乘とは申すなり。これ秘藏のことなり」と申しき。

よろづの道の人、たとひ不堪なりといへども、堪能の非家の人にならぶ時、必まさることは、たゆみなくつゝしみて、輕々しくせぬと、偏に自由なるとのひとしからぬなり。藝能所作の