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りけるを、西園寺內大臣殿〈實衡〉、「あなたふとのけしきや」とて信仰のきそくありければ、資朝卿これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。後日に、むく犬のあさましく老いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「このけしきたふとく見えて候ふ」とて內府へ參らせられたりけるとぞ。

爲兼大納言入道めしとられて、武士どもうちかこみて、六波羅へゐて行きければ、資朝卿一條わたりにてこれを見て、「あなうらやまし。世にあらむおもひでかくこそあらまほしけれ」とぞいはれける。

この人、東寺の門にあまやどりせられたりけるに、かたはものどもの集り居たるが、手も足もねぢゆがみうちかへりて、いづくも不具にことやうなるを見て、とりどりにたぐひなきくせものなり、尤愛するに足れりと思ひて、守り給ひけるほどに、やがてその興つきて、見にくゝいぶせくおぼえければ、たゞすなほにめづらしからぬものにはしかずと思ひて、かへりて後、この間栽木を好みて、異やうに曲折あるをもとめて、目もよろこばしめつるは、かのかたはを愛するなりけりと、興なくおぼえければ、鉢に栽ゑられける木ども、みなほり棄てられにけり。さもありぬべきことなり。

世にしたがはむ人は、まづ機嫌を知るべし。ついであしきことは、人の耳にも逆ひ心にも違ひてその事成らず。さやうのをりふしを心得べきなり。たゞし病をうけ子うみ死ぬることのみ、機嫌をはからず。ついであしとてやむことなし。生住異滅のうつりかはるまことの大事