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「玉だれに後の葵はとまりけり」とぞかける。おのれと枯るゝだにこそあるを、名殘なくいかゞとり捨つべき。御帳にかゝれるくすだまも、九月九日菊にとりかへらるゝといへば、さうぶは菊のをりまでもあるべきにこそ。枇杷の皇太后宮〈三條院后〉かくれ給ひてのち、ふるき御帳の內に、さうぶ藥玉などの枯れたるが侍りけるを見て、「をりならぬねをなほぞかけつる」と辨の乳母〈顯時女〉のいへる返りごとに、「あやめの草はありながら」とも江の侍從〈匡衡女〉がよみしぞかし。家にありたき木は松、櫻。松は五葉もよし。花はひとへなるよし。八重櫻は奈良の都にのみありけるを、このころぞ世に多くなり侍るなる。吉野の花、左近の櫻、皆ひとへにてこそあれ、八重櫻はことやうのものなり。いとこちたくねぢけたり。栽ゑずともありなむ。遲櫻またすさまじ。蟲のつきたるものむづかし。梅はしろき、うす紅梅、一重なるがとく咲きたるも、かさなりたる紅梅の、にほひめでたきもみなをかし。おそき梅は櫻に咲きあひて、おぼえおとりけおされて、枝に萎みつきたるこゝろうし。「一重なるがまづ咲きて散りたるは、心とくをかし」とて京極入道中納言〈定家〉は、なほ一重梅をなむ軒近くうゑられたりける。京極の屋の南むきに、今も二本はべるめり。柳またをかし。卯月ばかりのわか楓、すべて萬の花紅葉にもまさりてめでたきものなり。橘、桂、いづれも木はものふり大きなるよし。草は山吹、藤、杜若、撫子、池には蓮、秋の草は荻、薄、きちかう、萩、女郞花、藤袴、しをに、われもかう、苅萱、りんだう、菊、黃菊も、蔦、葛、朝顏、いづれもいと高からず、さゝやかなる垣にしげからぬよし。この外世にまれなるもの、唐めきたる名のきゝにくゝ、花も見なれぬなど、いとなつかしからず。