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しかなり。

「圍碁雙六このみてあかし暮す人は、四重五逆にもまされる惡事とぞ思ふ」とあるひじりの申しゝこと、耳にとゞまりていみじくおぼえ侍る。

明日は遠國へ赴くべしと聞かむ人に、心しづかになすべからむわざをば人いひかけてむや。俄の大事をもいとなみ、切に歎くこともある人は、他の事聞き入れず、人の愁喜をもとはず、とはずとてなどや〈如元〉と恨むる人もなし。されば年もやうやうたけ、病にもまつはれ、いはむや世をも遁れたらむ人、又これに同じかるべし。人間の儀式、いづれの事か去りがたからぬ。世俗のもだしがたきにしたがひて、これをかならずとせば、ねがひもおほく、身もくるしく、心のいとまもなく、一世は雜事の小節にさへられて空しく暮れなむ。日暮れ途とほし。吾が生旣に蹉跎たり。諸緣を放下すべき時なり。信をも守らじ。禮義をも思はじ。この心をもたざらむ人は、ものぐるひともいへ。うつゝなし、なさけなしともおもへ。そしるともくるしまじ。譽むるとも聞きいれじ。

四十にもあまりぬる人の色めきたるかた、おのづから忍びてあらむはいかゞはせむ。ことにうち出でゝ男女のこと、人のうへをもいひたわるゝこそ似げなく見ぐるしけれ。大かたきゝにくゝ見ぐるしきこと、老人の若き人にまじはりて、興あらむとものいひたる。數ならぬ身にて世のおぼえある人を、へだてなきさまにいひたる。貧しきところに酒宴このみ、客人に饗應せむときらめきたる。