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づらしげなし。一の上にてやみなむとて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿〈實泰〉この事を甘心したまひて、相國ののぞみおはせざりけり。「亢龍の悔あり」とかやいふこと侍るなり。月滿ちては缺け、物盛にしてはおとろふ。萬の事さきのつまりたるは、やぶれに近き道なり。法顯三藏の天竺にわたりて、故鄕の扇を見てはかなしみ、疾に臥しては漢の食を願ひ給へることを聞きて、「さばかりの人のむげにこそ心弱きけしきを、人の國にて見えたまひけれ」と人のいひしに、弘融僧都、「優に情ありける三藏かな」といひたりしこそ法師のやうにもあらず心にくゝおぼえしか。

人の心すなほならねば、いつはりなきにしもあらず。されどおのづから正直の人、などかなからむ。おのれすなほならねど、人の賢を見てうらやむはよのつねなり。いたりて愚なる人は、たまたま賢なる人を見てこれをにくむ。大きなる利をえむがために、すこしきの利をうけず、いつはりかざりて名を立てむとすとぞしる。おのれが心にたがへるによりてこのあざけりをなすにて知りぬ。この人は下愚の性うつるべからず。いつはりて小利をも辭すべからず。かりにも愚をまなぶべからず。狂人のまねとて大路をはしらば、すなはち狂人なり。惡人のまねとて人をころさば惡人なり。驥を學ぶは驥のたぐひ、舜を學ぶは舜の徒なり。僞りても賢をまなばむを賢といふべし。

惟繼中納言は、風月の才に富める人なり。一生精進にて讀經うちして、寺法師の圓伊僧正と同宿して侍りけるに、文保に三井寺やかれしとき、坊主にあひて、「御坊をば寺法師とこそ申