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こそをかしかりしか。今はなき人なれば、かばかりの事も忘れがたし。

九月二十日のころ、ある人にさそはれ奉りて、明くるまで月見ありくこと侍りしに、おぼしいづる所ありて、あないせさせて入りたまひぬ。あれたる庭の露しげきに、わざとならぬにほひしめやかにうちかをりて、忍びたるけはひいとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほことざま優に覺えて、物のかくれよりしばし見居たるに、妻戶を今すこしおしあけて、月見るけしきなり。やがてかけこもらましかば口をしからまし。あとまで見る人ありとはいかで知らむ。かやうの事はたゞ朝夕の心づかひによるべし。その人程なくうせにけりときゝ侍りし。

今の內裏つくりいだされて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、すでに遷幸の日近くなりけるに、玄輝門院〈伏見院母〉御らんじて、「閑院殿のくしがたの穴は、まろくふちもなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これはえふの入りて、木にてふちをしたりければあやまりにてなほされにけり。

甲香は、ほらがひのやうなるがちひさくて、口のほどのほそながにして出でたる貝のふたなり。武藏の國金澤といふ浦にありしを、所のものは「へなだりと申し侍る」とぞいひし。

手のわろき人の、憚らず文かきちらすはよし。見ぐるしとて人にかゝするはうるさし。

「久しくおとづれぬころ、いかばかり恨むらむと、我がをこたり思ひ知られて、ことばなき心ちするに、をんなのかたより、仕丁やある一人などいひおこせたるこそありがたくうれしけ