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かしきものなれや。ものふりたる森の景色もたゞならぬに、玉垣しわたして、榊にゆふかけたるなどいみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢、加茂、春日、平野、住吉、三輪、貴船、吉田、大原野、松の尾、梅の宮。

飛鳥川の淵瀨常ならぬ世にしあれば、時うつり事さり、たのしびかなしびゆきかひて、華やかなりしあたりも、人すまぬのらとなり、かはらぬすみかは人あらたまりぬ。桃李物いはねば誰とともにか昔をかたらむ、まして見ぬいにしへのやんごとなかりけむ跡のみぞいとはかなき。京極殿、法成寺など見るこそ志とゞまり事變じにけるさまはあはれなれ。御堂殿の作り磨かせ給ひて、庄園おほく寄せられ、我が御ぞうのみ御門の御うしろみ、世のかためにて、行く末までとおぼしおきし時、いかならむ世にも、かばかりあせはてむとはおぼしてむや。大門金堂など近くまでありしかど、正和のころ南門は燒けぬ。金堂はその後たふれふしたるまゝにて、とりたつるわざもなし。無量壽院ばかりぞそのかたとて殘りたる。丈六の佛九體、いとたふとくてならびおはします。行成大納言の額、兼行が書ける扉、あざやかに見ゆるぞあはれなる。法花堂などもいまだ侍るめり。これもまたいつまでかあらむ。かばかりのなごりだになき所々は、おのづからいしづゑばかり殘るもあれどさだかに知れる人もなし。さればよろづに見ざらむ世までを、思ひおきてむこそはかなかるべけれ。

風も吹きあへずうつろふ人の心の花に、なれにし年月をおもへば、あはれと聞きしことのはごとに忘れぬものから、我が世の外になりゆくならひこそなき人のわかれよりもまさりて