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びて魚鳥を見て心たのしぶ」といへり。人遠く水草きよき所にさまよひありきたるばかり、心慰むことはあらじ。

何事もふるき世のみぞしたはしき。いまやうはむげにいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道のたくみの作れるうつくしき器も、古代のすがたこそをかしと見ゆれ。文のことばなどぞむかしの反古どもはいみじき。たゞいふことばも、くちをしうこそなりもて行くなれ。「いにしへは、車もたげよ、火かゝげよとこそいひしを、今やうの人は、もてあげよ、かきあげよといふ。主殿寮の人數だてといふべきを、たちあかししろくせよといひ、最勝講の御聽聞所なるをば、御かうのろといふべきを、かうろといふくちをし」とぞふるき人の仰せられし。

衰へたるすゑの世とはいへど、なほ九重のかみさびたるありさまこそ世づかずめでたきものなれ。露臺、朝餉、何殿、何門などは、いみじともきこゆべし。あやしの所にもありぬべき小蔀、小板敷、高遣り戶などもめでたくこそきこゆれ。「陣に夜のまうけせよ」といふこそいみじけれ。夜のおとゞのをば、「かいともしとうよ」などいふまためでたし。上卿の陣にて行へるさまはさらなり、諸司の下人どものしたり顏になれたるもをかし。さばかり寒き夜もすがら、こゝかしこにねぶり居たるこそをかしけれ。「內侍所の御鈴の音はめでたく優なるものなり」とぞ德大寺の太政大臣〈基實〉は仰せられける。

齋宮の野宮におはしますありさまこそ、やさしくおもしろきことのかぎりとはおぼえしか。經佛などいみて、なかご、染紙などいふなるもをかし。すべて神の社こそ捨てがたくなまめ