Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/277

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煙のたつこそをかしけれ。年の暮れはてゝ人ごとに急ぎあへる頃ぞまたなくあはれなる。すさまじきものにして、見る人もなき月のさむけく澄める二十日あまりのそらこそ心ぼそきものなれ。御佛名、荷前の使たつなどぞあはれにやんごとなき。公事どもしげく、春のいそぎにとりかさねて、もよほし行はるゝさまぞいみじきや。追儺より四方拜につゞくこそおもしろけれ。晦の夜いたうくらきに、松どもともして、夜半すぐるまで人の門たゝき走りありきて、何事にかあらむことごとしくのゝしりて足を空にまどふが、曉がたよりさすがに音なくなりぬるこそ年のなごりも心ぼそけれ。なき人のくる夜とてたままつるわざは、このごろ都にはなきを、あづまのかたにはなほすることにてありしこそあはれなりしか。かくて明けゆく空のけしき、昨日にかはりたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心ちぞする。大路のさま松たてわたして、華やかにうれしげなるこそまたあはれなれ。

なにがしとかやいひし世すて人の、この世のほだしもたらぬ身に、たゞ空のなごりのみぞをしきといひしこそ誠にさもおぼえぬべけれ。

よろづの事は月見るにこそ慰むものなれ。ある人の「月ばかりおもしろきものはあらじ」といひしに、またひとり、「露こそあはれなれ」とあらそひしこそをかしけれ。折にふれば何かはあはれならざらむ。月花はさらなり、風のみこそ人に心はつくめれ。岩にくだけて淸く流るゝ水のけしきこそ時をもわかずめでたけれ。「沅湘日夜東に流れ去る、愁人のためにとゞまることしばらくもせず」といへる詩を見侍りしこそあはれなりしか。嵆康も、「山澤にあそ