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 「今よりは思ひ亂れし蘆の海の深き惠を神にまかせて」。

此の山もこえおりて湯本といふ所にとまりたれば、大山おろし烈しくうちしぐれて、谷川漲りまさり、岩せの波高くむせぶ。暢臥〈師歟〉房のよるのきゝにも過ぎたり。かの源氏物語〈若紫〉の歌に、「淚もよほす瀧の音かな」といへるも思ひよられて哀なり。

 「それならぬ賴みはなきを古鄕の夢路ゆるさぬ瀧の音かな」。

此の宿をも立ちて、鎌倉につく。日の夕つ方雨俄に降りて、みかさもとりあへぬほどなり。いそぐ心にのみすゝめられて、大磯、江の島、もろこしが原など、きこゆる所々をも見とゞむる暇もなくて、うち過ぎぬるこそいと心ならず覺ゆれ。暮るゝ程に下りつきぬれば、なにがしのいりとかやいふ所に、いやしの賤が庵をかりて留まりぬ。前は道にむかひて門なし。行人征馬すだれのもとに行き違ひ、うしろは山近くして窓に臨む。鹿の音、蟲の聲垣の上に忙はし。旅店の都にことなる、狀かはりて心すごし。かくしつゝあかしくらす程に、つれづれも慰むやとて和賀江のつき島、三浦のみさきなどいふ浦々を行きて見れば、海上の眺望哀を催してこし方に名高く面白き所々にも劣らずおぼゆ。

 「さびしさはすぎこし方の浦々もひとつ眺めの沖のつり舟。

  玉よする三浦が崎の波間より出でたる月の影のさやけさ」。

抑鎌倉のはじめを申せば、故右大將家〈賴家〉ときこえ給ふ、水の尾の御門〈淸和〉の九つの世のはつえを武き人にうけたり。さりにし治承のすゑ〈安德〉にあたりて、義兵をあげて朝敵をなびかすより、恩