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ぬ。任限又滿ちたり。古鄕に歸らむとする期、いまだいくばくならず」とかきたるこそ哀に心ぼそく聞ゆれ。

 「思ひ出のなくてや人の歸らまし法の形見をたむけおかずば」。

この宮を立ちいで、濱路に趣く程、有明の月かげふけて、友なし千鳥時々おとづれわたれる、旅の空のうれへそゞろに催して、哀かたがた深し。

 「古鄕は日を經て遠くなるみがた急ぐ汐干の道ぞ苦しき」。

やがて夜の中に、二村山にかゝりて、山中などを越え過ぐる程に、東漸白みて、海の面遙にあらはれたり。波も空も一つにて、山路につゞきたるやうに見ゆ。

 「玉くしげ二村山のほのぼのと明けゆく末は波路なりけり」。

ゆきゆきて、三河國八橋のわたりを見れば、在原業平、杜若の歌よみたりけるに、皆人かれいひのうへに淚落しける所よと思ひ出でられて、そのあたりを見れども、かの草とおぼしき物はなくて、いねのみぞおほく見ゆる。

 「花ゆゑに落ちし淚のかたみとや稻葉の露をのこしおくらむ」。

源義種が、此の國の守にて下りける時、とまりける女のもとにつかはしける歌に、「もろともに行かぬ三河の八はしを〈は集〉戀しとのみや思ひわたらむ」〈拾遺〉とよめりけるこそ思ひ出でられてあはれなれ。やはぎといふ所を出でゝ、みやぢ山こえ過ぐる程に、赤坂と云ふ宿あり。こゝにありける女ゆゑに、大江定基が家をいでけるも、哀に思ひいでられて、過ぎがたし。人の發心