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この宿を出でゝ、笠原の野原うちとほる程に、おいその杜といふ杉むらあり。下草深き朝露の、霜にかはらむ行くすゑも、はかなく移る月日なれば、遠からずおぼゆ。

 「かはらじなわがもとゆひにおく霜も名にしおいその杜の下草」。

音にきゝし醒が井を見れば、蔭くらき木の下の岩根より流れいづる淸水、あまり涼しきまで澄みわたりて、實に身にしむばかりなり。餘熱いまだつきざる程なれば、往還の旅人多く立ちよりて凉みあへり。斑婕妤が團雪の扇、秋風にかくて暫し忘れぬれば、末遠き道なれども、立ち去らむ事はものうくて、更に急がれず。かの西行が「道のべに淸水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」〈新古夏〉と詠めるも、かやうの所にや。

 「道のべの木陰の淸水むすぶとてしばし凉まぬ旅人ぞなき」。

かしは原といふ所を立ちて、美濃國關山にもかゝりぬ。谷川霧の底に音づれ、山風松の梢にしぐれわたりて、日影もみえぬ木の下道、あはれに心ぼそし。越えはてぬれば、不破の關屋なり。萱屋の板庇、年へにけりとみゆるにも、後京極攝政殿〈良經〉の、「荒れにし後はたゞ秋の風」〈新古雜中〉とよませ給へる歌思ひいでられて、この上は風情もめぐらしがたければ、賎しき言の葉をのこさむも中々に覺えて、こゝをば空しくうち過ぎぬ。くひぜ川といふ所にとまりて、夜更くる程に、川端に立ちいでゝみれば、秋の最中の晴天、淸き河瀨にうつろひて、照る月なみも數見ゆばかりすみ渡れり。二千里の外の古人の心〈白氏文集〉遠く思ひやられて、旅の思ひいとゞおさへがたく覺ゆれば、月の影に筆を染めつゝ「花洛を出でゝ三日、株瀨川に宿して一宵、屢幽吟