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 「東路の野路の朝露けふやさは袂にかゝるはじめなるらむ」。

しの原といふ所をみれば、西東へ遙に長き堤なり。北には里人すみかをしめ、南には池のおもてとほく見えわたる。むかひの汀、綠ふかき松のむらだち、波の色もひとつになり、南山の影をひたさねども靑くして洸瀁たり〈白氏文集〉。洲崎所々に入りちがひて、蘆かつみなど生ひわたれる中に、をし鴨のうちむれて飛びちがふさま、あしでをかけるやうなり。都を立つ旅人、この宿にこそとまりけるか。今はうちすぐるたぐひのみ多くして、家居もまばらになりゆくなどきくこそかはりゆく世のならひ、飛鳥の川の淵瀨には限らざりけめとおぼゆ。

 「行く人もとまらぬ里となりしより荒れのみまさるのぢの篠原」。

鏡の宿に至りぬれば、昔なゝの翁のよりあひつゝ、老をいとひて詠みける歌の中に、「鏡山いざ立ちよりてみてゆかむ年へぬる身は老いやしぬると」〈古今〉といへるは、この山の事にやとおぼえて、宿もからまほしくおぼえけれども、猶おくざまにとふべき所ありてうちすぎぬ。

 「立ちよらでけふはすぎなむ鏡山しらぬ翁のかげは見ずとも」。

ゆき暮れぬれば、むさ寺といふ山寺のあたりにとまりぬ。まばらなるとこの秋風、夜ふくるまゝに身にしみて、都にはいつしかひきかへたる心ちす。枕にちかき鐘の聲、曉の空に音づれて、かの遺愛寺〈引白氏文集〉の邊の草の庵の寢覺も、かくやありけむと哀なり。行くすゑとほき旅の空、思ひつゞけられていといたう物悲し。

 「都いでゝいくかもあらぬ今夜だに片しきわびぬ床の秋風」。