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東關紀行

齡は百年の半に近づきて、鬢の霜漸く冷しといへども、なすことなくして徒にあかしくらすのみにあらず。さしていづこに住はつべしとも思ひ定めぬ有樣なれば、彼の白樂天の「身は浮雲に似たり、首は霜に似たり」と書き給へる、哀に思ひ合せらる。元より金帳〈張歟、金張是金日磾張安世〉七葉のさかえを好まず、たゞ陶濳五柳〈陶濳著五柳先生傳〉のすみかをもとむ。しかはあれども、深山の奧の柴の庵までも、しばらく思ひやすらふ程なれば、憖に都のほとりに住まひつゝ、人なみに世にふる道になむ列れり〈如元〉。これ卽身は朝市にありて心は隱遁にあるいはれなり。かゝる程に、思はぬ外に仁冶三年の秋八月十日あまりの頃、都を出でゝ東へ赴く事あり。まだ知らぬ道の空、山重なり江重なりて、はるばる遠き旅なれども、雲をしのぎ霧を分けつゝ、屢前途の極なきに進む。終に十餘の日數をへて、鎌倉に下り着きし間、或は山館野亭の夜のとまり、或は海邊水流の幽なる砌にいたる每に、目にたつ所々、心とまる節々をかき置きて、忘れず忍ぶ人もあらば、後のかたみにもなれとてなり。』東山の邊なるすみかを出て、相坂の關うち過ぐる程に、駒ひきわたる望月の比も、漸近き空なれば、秋霧立ちわたりて、ふかき夜の月影かすかなり。木綿付鳥幽に音づれて、遊子〈孟嘗君之故事〉猶殘月に行きけむ、幽谷の有樣思ひ合せ〈いでイ〉らる。むかし蟬丸といひける世捨人、此の關の邊にわらやの床をむすびて、常は琵琶をひきて心をす