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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/18

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璽實劍の渡らせ給ふとて、のゝしり候ふぞ。日の御座の、御物の具のわたり、御帳のひき、御鏡󠄂など、取り出でさふらふ。御帳毀つ音󠄁なりけり」といふに悲しさぞ堪へがたき。晝より美濃內侍をやがれ殿のはかしにつけさせ給ひつればつきまゐらせておはしつるやうなど語る。我は朝かれひのおましの事は知らざりつれば、この人の方を聞きて、何にかはせむ。

讚岐典侍日記下

かくいふほどに十月嘉永二年になりぬ。「辨三位殿より御文󠄁」といへば、取り入れて見れば、「年頃宮仕へせさせ給ふさま御心のありがたさなどよく聞きおかせ給ひたりしかばにや、院白河よりこそ、このうち鳥羽にさやうなる人のたいせちなり、どうしまゐるべきよし仰せごとあれば、さる心ちせさせ給へ」とある。見るにぞあさましくひが目かと思ふまであきれられける。おはしましゝをりよりかくは聞えしかど、いかにも御いらへのなかりしにぞさらでもと思しめすにや。それをいつしかといひ顏に參らむ事あさましき。周防內侍後冷泉院におくれまゐらせて、後三條院より七月七日まゐるべきよし仰せられたりけるに、

「天の河おなじながれと聞きながらわたらむ事はなほぞかなしき」

とよみけむこそげにと覺ゆれ。故院堀河の御形見にはゆかしく思ひ參らすれどさし出でむ事猶󠄁あるべき事ならず。そのかみ立ち出でしだにはればれしさは思ひあつかひしかれど、親たち、