Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/175

提供:Wikisource
このページは校正済みです

さねかたの中將の、五月まで時鳥きかで、みちのくにより、都にはきゝふるすらむほとゝぎす關のこなたの身こそつらけれとかや申されたることの候ふなる。そのためしと思ひ出でられて、この文こそことにやさしく」など書きておこせ給へり。さるほどに、卯月の末になりければ、郭公のはつねほのかにもおもひ絕えたり。人づてにきけば、「ひきのやつといふ所に、あまた聲鳴きけるを、人聞きたり」などいふをきゝて、

 「しのびねはひきのやつなるほとゝぎす雲ゐに高くいつかなのらむ」

などひとり思へどもそのかひもなし。もとよりあづまぢは、みちのおくまで昔よりほとゝぎすまれなるならひにやありけむ。ひとすぢに又鳴かずばよし。まれにも聞く人ありけるこそ人わきしけるよと心づくしにうらめしけれ。又くわとく門院〈義子〉の新中納言ときこゆるは、京極の中納言定家の御むすめ、深草のさきの齋宮ときこえしに、父の中納言のまゐらせおき給へるまゝにて、年へ給ひにける。この女院は、齋宮〈熈子〉の御子にしたてまつり給へりしかば、つたはりてさふらひ給ふなり。「うき身こがるゝもかり舟」などよみ給へりし民部卿のすけのせうとにてぞおはす〈一字しけイ〉る。さる人の子にて、怪しき哥よみて、「人には聞かれじ」とあながちにつゝみたまひしかど、はるかなる旅の空おぼつかなさに、あはれなる事どもをかきつゞけて、

 「いかばかり子を思ふつるのとびわかれならはぬ旅の空になくらむ」

と文のことばにつゞけて哥のやうにもあらず書きなし給へるも、人よりはなほざりならず