Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/174

提供:Wikisource
このページは校正済みです

へにて、心をひとつにして、法華經をよみつ。そのしるしにや、なごりもなくおちたる、折しも都のたよりあれば、かゝる事こそなど、古鄕へもつげやるついでに、れいの權中納言の御もとへ、「旅の空にて、あやふきほどの心ぼそさも、さすが御法のしるしにや、けふまではかけとゞめて」とかきて、

 「いたづらにあまの鹽やくけぶりとも誰かは見まし風に消えなば」

と聞えたりしを、おどろきてかへりごととくし給へり、

 「消えもせじ和歌の浦ぢに年をへて光をそふるあまのもしほ火」。

御經のしるし、いとたふとくて、

 「たのもしな身にそふ友となりにけりたへなるのりの花のちぎりは」。

うづきのはじめつ方たよりあれば、又おなじ人の御もとへ、「こぞの春夏のこひしき」など書きて、

 「見し世こそかはらざるらめ暮れはてゝ春より夏にうつる梢も。

  夏ごろもはやたちかへてみやこ人いまや待つらむ山ほとゝぎす」。

そのかへりごと又あり、

 「草も木もこぞ見しまゝにかはらねどありしにも似ぬ心ちのみして。

さてほとゝぎすの御たづねこそ、

  人よりも心つくしてほとゝぎすたゞひとこゑをけふぞ聞きつる。