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「きよみがた年ふる岩にこととはむ浪のぬれぎぬいくかさねきつ」。
ほどなく暮れて、そのわたりの海〈浦イ〉近き里にとゞまりぬ。浦人のしわざにや、となりよりくゆりかゝる煙、いとむつかしきにほひなれば、「よるのやどなまぐさし」といひける人の詞も思ひ出でらる。よもすがら風いとあれて、浪たゞ枕のうへに立ちさわぐ。
「ならはずよよそにきゝこし淸見潟あらいそ浪のかゝるねざめは」。
富士の山を見れば煙もたゝず。むかし父の朝臣にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみしころ、とほつあふみの國までは見しかば、「富士のけぶりの末も、あさゆふたしかに見えしものを、いつの年よりか絕えし」と問へば、さだかにこたふる人だになし。
「たが方になびきはてゝか富士のねの煙のすゑの見えずなるらむ」。
古今の序のことばまで思ひ出でられて、
「いつの世のふもとの塵か富士のねを雪さへたかき山となしけむ。
くちはてしながらの橋をつくらばや富士の煙もたゝずなりなば」。
今宵は、波の上といふ所にやどりて、あれたる音、更に目もあはず。
廿七日、明けはなれて、後富士川わたる。朝川いとさむし。かぞふれば十五瀨をぞ渡りぬる。
「さえわびぬ雪よりおろす富士川のかは風こほるふゆのころも手」。
けふは、日いとうらゝかにて、田子の浦にうち出づ。あまどものいさりするを見ても、
「心からおりたつ田子のあまごろもほさぬうらみと人にかたるな」