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十六夜日記

むかし、かべのなかよりもとめ出でたりけむふみの名をば、今の世の人の子は、夢ばかりも身のうへの事とは知らざりけりな。みづくきの岡のくづ葉、かへすがへすも、かきおくあとたしかなれども、かひなきものは親のいさめなり。又賢王の人をすて給はぬまつりごとにももれ、忠臣の世を思ふなさけにもすてらるゝものは、かずならぬ身ひとつなりけりと思ひ知りながら、またさてしもあらで、猶このうれへこそやるかたなく悲しけれ。さらに思ひつゞくれば、やまとうたの道は、唯まことすくなく、あだなるすさびばかりと思ふ人もやあらむ。ひのもとの國に、あまのいはとひらけし時、よもの神だちのかぐらのことばを始めて、世を治め、物をやはらぐるなかだちとなりにけるとぞ、この道のひじりだちはしるし置かれたりける。さてもまた集を撰ぶ人はためしおほかれど、二たび勅をうけて、世々に聞えあげたるは、たぐひ猶ありがたくやありけむ。そのあとにしもたづさはりて、みたりのをのこゞ〈爲顯爲相爲守〉ども、もゝちのうたのふるほぐどもを、いかなるえにかありけむ、あづかりもたることあれど、「道を助けよ、子をはぐゝめ、後の世をとへ」とて深きちぎりをむすびおかれし細川のながれも、ゆゑなくせきとめられしかば、あととふのりのともしびも、道をまもり、家を助けむ親子の命ももろともに、きえをあらそふ年月を經て、あやふく心ぼそきものから、何としてつれ