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Page:Kokubun taikan 09 part2.djvu/1

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讚岐典侍日記

讚岐典侍日記上

五月〈嘉承二年〉空󠄁もくもらはしく、田子の裳すそも干し侘ぶらむとことわりも見え、さらぬだに物むつかしき頃しも、心長閑なる里居に常よりもむかし今の事思ひ續けられて物哀れなれば、はしを見出して見れば、雲のたゝずまひ空󠄁の氣色思ひ知り顏に村雲がちなるを見るにも、雲居の空󠄁といひけむ人もわりと見えて、かきくらさるゝ心地ぞする。軒のあやめの雫に異ならず山郭公󠄁も諸共に音󠄁をうち語らひて、はかなく明くる夏の夜な夜な過󠄁ぎもて、いそのかみふりにし昔の事を思ひ出でられて泪とゞまらず。思ひ出づれば、我が君〈□□〉に仕うまつる事、春の花󠄁秋の紅葉を見ても、月の曇らぬ空󠄁をながめ、雪󠄁のあした御供に侍ひて諸共に八年の春秋仕うまつりしほど、常はめでたき御事多く、あしたの御おこなひ、夕べの御笛の音󠄁忘󠄁れ難︀さに、慰むやと𛁈出づる事ども書き續くれば筆のたちども見えず。きりふたがりて硯の水に淚落ち添ひて、水莖の跡も流れあふ心ちして淚ぞいとゞ增るやうに、書きなどせむに紛れなどやするとて書きたる事なれば、姨捨山に慰めかねられて堪へがたくぞ。六月廿日のことぞかし。內〈堀川〉は例ざまにもおぼしめされざりし御けしき、ともすればうち臥しがちにて、「これを人は惱󠄀むとはいふ。など人々は目も見たてぬ」と仰せられて、世をうらめしげに、おぼした