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 「よのうちは松にも露はかゝりけり明くれば消ゆるものこそ思へ」。

かくて經るほどにその月つごもりに小野の宮のおとゞ〈實賴〉かくれ給ひぬとて、「世はさはりありて世の中いと騷がしかなればつゝしむとてえ物せぬなり。服になりぬるをこれら疾くして」とはあるものか。いとあさましければこの頃ものするものども里につてなむとて歸しつ。これにまして心やましきさまにて絕えて事づてもなし。』さながら六月になりぬ。かくて數ふるは夜見る〈ぬイ〉事は三十よ日、晝見る事は四十よ日になりにけり。いとにはかにあやしといはゞおろかなり。心もゆかぬ世とはいひながら、まだいとかゝる目は見ざりつれば、見る人々もあやしうめづらかなりと思ひたり。物しおぼえねば、詠めのみぞせらるゝ。人目もいと耻しう覺えて落つる泪おし隱しつゝ臥して聞けば、〈う脫歟〉ぐひすぞをりはへて鳴くにつけて覺ゆるやう、

 「鶯もごもなきものやおもふらむみなつきはてぬ音をぞ鳴くなる」。

かくながら二十餘日になりぬる心ち、せむ方知らずあやしく置き所なきを、いかで凉しき方もやあると、心ものべがてら濱づらの方に祓ヘもせむと思ひて唐崎へとて物す。寅の時ばかりに出で立つに月いと明し。我が同じやうなる人又供に人一人ばかりぞあれば、唯三人乘りて馬い〈にカ〉乘りたるをのこども七八人ばかりぞある。加茂川のほどにてほのぼのと明く。うち過ぎて山路になりて京に違ひたるさまを見るにも、この頃の心ちなればにやあらむ、いとあはれなり。いはむやと〈せカ〉きに至りてしばし車とゞめてうしかへなどするに、むなぐるま引き