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にこそはし侍らめ」と申しゝかば「さば得よ」とて賜はせたりしを、あやしきをこよや何やとつきせずおほかる紙の數を書きつくさむとせしに、いと物おぼえぬことぞおほかるや。大かたこれは世の中にをかしき事を、人のめでたしなど思ふべき事、猶えり出でゝ歌などをも木草鳥蟲をもいひ出したらばこそ、思ふほどよりはわろし心見えなりともそしられめ、唯心ひとつにおのづから思ふことをたはぶれに書きつけたれば、物に立ちまじり、人なみなみなるべき耳をも聞くべきものかはと思ひしに、「はづかしき」なども見る人はのたまふなれば、いとあやしくぞあるや。げにそれもことわり、人のにくむをも善しといひ、譽むるをも惡しといふは、心のほどこそおしはからるれ。唯人に見えけむぞねたきや。

枕草紙