Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/370

提供:Wikisource
このページは校正済みです

と問ひしかば、「神輿やどり」といひしもめでたし。いがきに蔦などの多くかゝりて、紅葉のいろいろありし「秋にはあへず」と貫之が歌おもひ出でられて、つくづくと久しうたゝれたりし。みこもりのかみことをかし。

     崎は

唐崎、伊加が崎、三保が崎。

     屋は

まろ屋、四阿屋。

時奏するいみじうをかし。いみじう寒きに、よなかばかりなどに、ごほごほとこほめき、沓すり來て弦うちなどして「なんけのなにがし、時丑三つ子四つ」などあてはかなる聲にいひて、時の杭さす音などいみじうをかし。子九つ丑八つなどこそさとびたる人はいへ。すべて何も何も四つのみぞ杭はさしける。

日のうらうらとある晝つかた、いたう夜更けて、子の時など思ひ參らするほどに、をのこども召したるこそいみじうをかしけれ。夜中ばかりに又御笛の聞えたるいみじうめでたし。

成信の中將は入道兵部卿の宮〈致平〉の御子にて、かたちいとをかしげに、心ばへもいとをかしうおはす。伊豫守兼輔が女の忘られて伊豫へ親のくだりしほど、いかに哀なりけむとこそ覺えしか。曉にいくとて、今宵おはしまして、有明の月に歸り給ひけむ直衣姿などこそ。そのかみ常に居て物かたりし人のうへなどわろきはわろしなどのたまひしに。