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 「氷るらむよかはの水に降る雪もわがごと消えてものは思はじ」〈道綱母〉

などいひてその年はかなく暮れぬ。』正月〈天曆九年〉ばかりに二三日見ぬ程にものへ渡らむとて「人こば取らせよ」とて書き置きたる、

 「知られねば身を鶯のふりいでつゝなきてこそ行け野にもやまにも」。

かへりごとあり、

 「うぐひすのあたにて行かむ山く〈べカ〉にもなく聲聞かば尋ぬばかりぞ」

などいふうちよりなほもあらぬことありて春夏なやみ暮して、八月つごもりにとかうものしつ〈道綱誕生〉。その程の心ばへしも懇なるやうなりけり。さて九月ばかりになりていでにたるほどに箱のあるを手まさぐりにあけて見れば、人のもとにやらむとしける文あり。あさましさに見てけりとだにしられむと思ひて書きつく。

 「うたがはしほかに渡せるふみ見ればこゝやとだえにならむとすらむ」

など思ふほどに、心えなう十月つごもり方に三よしきりて見えぬ時あり。つれなうてしばし試みるほどになどけしきあり。これより夕さりつかた「うちのかたるまじかりけり」とて出へ〈づカ〉るに心を〈えカ〉て人をつけて見すれば「まちの小路なるそこそこになむとまり給ひぬる」とて來たり。さればよといみじう心憂しと思へどもいはむやうも知らである程に、二三日ばかりありてあかつきがたに門も叩く時あり。さなめりしと思ふに、憂くてあけさせねば、例の家とおぼしき所にものしたり。つとめて猶もあらじと思ひて、