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Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/277

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たちや。翁をばいかにをこなりと笑ひ給ふらむ」と分け出でさせ給へば戶口に人々のいろいろの袖口してみすを引き上げたるに、權大納言殿〈伊周〉御くつとりてはかせ奉らせ給ふ。いとものものしうきよげによそほしげに、下がさねのしりながく所せくさぶらひ給ふ。まづあなめでた、大納言ばかりの人にくつをとらせ給ふよと見ゆ。山のゐの大納言〈道賴〉そのつぎつぎ、さらぬ人々黑きものをひきちらしたるやうに、藤壺のへいのもとより登華殿の前までゐなみたるに、いとほそやかにいみじうなまめかしうて、御はかしなど引きつくろひやすらはせ給ふに、宮の大夫殿〈道長〉の淸凉殿の前にたゝせ給へれば、それは居させ給ふまじきなめりと見る程に、少し步み出でさせ給へば、ふと居させ給ひしこそ猶いかばかりの昔の御おこなひのほどならむと見奉りしこそいみじかりしか。中納言の君の忌の日とてくすしがり行ひ給ひしを、「たゞそのずゞしばし。行ひてめでたき身にならむとか」とて集りて笑へど、猶いとこそめでたけれ。御まへにきこしめして「佛になりたらむこそこれよりはまさらめ」とてうちゑませ給へるに、又めでたくなりてぞ見まゐらする。大夫殿の居させ給へるを、かへすがへす聞ゆれば「例の思ふ人」と笑はせ給ふ。ましてこの後の御ありさま見奉らせ給はましかば、ことわりとおぼしめされなまし。

九月ばかり夜一夜降りあかしたる雨のけさはやみて朝日のはなやかにさしたるにぜんざいの菊の露、こぼるばかりぬれかゝりたるもいとをかし。すいがい、らもんすゝきなどのうへにかいたるくものすのこぼれ殘りて、所々て糸も絕えざまに雨のかゝりたるが白き玉をつ