Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/161

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あな心苦し」とぞある。我が人にいひやりて、くやしと思ひし事のなゝもじなればいとあやし。「こは〈た脫歟〉がぞと〈と衍歟〉後堀河殿〈兼通〉のことにや」と問へば「おほきおとゞの御文なり。御隨身にあるそれがしなむ殿にもて來たりけるを、おはせずといひけり〈れイ〉ど、なほぞたしかにとてなむ、おきてけり〈如元〉」といふ。いかにして聞き給ひけることにかあらむと、思へども思へどもいとあやし。又人ごとにいひ合はせなどすれぱ、ふるめかしき人〈倫寧〉、聞く〈一字きつイ〉けて、「いと忝し。はや御返りして、かのもて來たりけむ御隨身に取らすべきものなり」とかしこまる。されば、かくおろかには思はざりけめど、いとなほざりなりや。

 「さゝわけばあれこそまさめ草枯のこまなつくべきもりの下かは〈けイ〉

とぞ聞えける。ある人のいふやう、「これがかへし今一度せむとて、なからまではあそばしたなるを、末なむまだしきとのたまふなる」と聞きて久しうなりぬるなむをかし〈かりイ有〉けり〈如元〉。臨時の祭あさてとて佐俄に舞ひ人にめされたり。これにつけてぞ珍しき文ある。「いかゞする」などゝているべきもの皆ものしたり。試樂の日〈またイ有〉あるやう「けがらひの暇なる所なれば內にもえ參るまじきを、參り來て見出したてむとするを、寄せ給ふまじかなればいかゞすつ〈一字べかイ〉らむ。いとおぼつかなき事」とあり。胸つぶれて今さらになにせむにかと思ふ事しげ〈けイ有〉れば「とくさうぞきて、かしこへを參れ」とていそがしやりたりければ、まづぞうち泣かれける。諸共に立ちて舞ひわたりならせて參らせてけり。祭の日いかゞは見ざらむとて出でたれば、またのつらになでふこともなきびりやうせしわくちうちおろして立てり。口の方、すだれの下