Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/139

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おつ〈もイ〉て耻しうなりにたるにいと苦しけれどいかゞはせむ。とばかりありて、「方ふたがりたり」とて、我が染めたるともいはじ、匂ふばかうの櫻がさねの綾、文はこぼれぬばかりして、かたもんのうへの袴つやつやとして遙におひちらして歸るを聞きつゝ、あな苦し、いみじうもうち解けたりつるかなゝど思ひて、なりをうち見れば、いたうしをれたり。鏡を見れば〈いたう以下十三字流布本無〉いとにくげにはあり。又こたびうじはてぬらむと思ふ事限なし。かゝる事を盡きせず眺むる程に、朔日より雨がちになりにたれば、いとなげにめを〈もイ有〉やすとのみなむありける。五日、夜中ばかりに、世の中騷ぐを聞けば、され〈きイ〉に燒けにしにくき所、こたみはおしなぶるなりけり。十日ばかりに、又晝つ方見えて、「春日へなむ詣づべき程の覺束なきに」とあるも例ならねばあやしう覺ゆ。二〈三イ〉月十五日に、院の小弓始まりて出でぬなどのゝしる。前しりへわきてさうぞけば、その事大夫により、とかう物す。その日になりて、上達部あまた「今年やんごとなかりけり。小弓思ひあなく〈づイ〉りて念ぜざりけるを、いかならむと思ひたれば、さいそには出でゝもろ矢しつ。つぎつぎあまたの數この矢になむさして勝ちぬる」などのゝしる。さて又二三日過ぎて、大夫「後の諸矢は悲しかりしかな」などあれば、まして我も。おほやけには、例のその頃、八幡の祭になりぬ。つれづれなるをとて忍びやかに立てれば、ことにはなやかにて、いみじう追ひ散らすものく。誰ならむと見れば、御ぜんどもの中に、例見ゆる人などあり。さなりけりと思ひて見るにも、まして我が身いとほしき心ちす。すだれ卷きあげ、したすだれおしはさみたれば、おぼつかなき事もなし。この車を見つけて、ふと扇をさしかくして