Page:Kokubun taikan 09 part1.djvu/121

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されどとまる方は、思ひ懸けられずとばかりありて、「をのこどもは參りにたりや」などいひて起き出でゝ、なよらかならぬ直衣しをれよい程なるかいねりの袿ひとかさね、帶ゆるらかにてあゆみ出づるに、人々御粥などてうじて侍るめれど、例食はぬものなれば「何かは」など心よげにうちいひて、太刀とくよとあれば、大夫とりて、すのこにかたひざまづきてゐたり。のどかに步み出でゝ見廻して、「前栽をらうがはしく燒きためるかな」などあり。やがてそこもとにあまかははりたるをさし寄せ、をのこどもかるらかにでもたげたれば、這ひ乘りぬめり。下簾引きつくろひて、中門より引き出でゝ、さきよい程に追はせてあるも、妬げにぞ聞ゆる。日頃いと風早しとて、南面の格子は明けぬを、今日かうて見出して、とばかりあれば、雨よい程にのどやかに降りて庭うち荒れたるさまにて、朽葉所々靑み渡りにけり。哀と見えたり。晝つ方かへしうち吹きて晴るゝがほの空はしたれど、心ちあやしう惱しうて暮れ果つるまでながめ暮しつ。』三日になりぬる夜、降りける雪三四寸ばかりたまりて今も降る。すだれを卷きて眺むれば「あれとかむ〈五字あなさむイ〉」といふ聲こゝかしこに聞ゆ。風さへ早し。世の中いと哀なり。さて日晴れなどして八日のほどに〈あがたイ有〉ありきの所に渡りたる〈れイ〉は、多く若き人がちにて、箏の琴、琵琶など折にあひたる聲に調べなどして、うち笑ふことがちにて暮れぬ。つとめてまらうど歸りぬる後、心のどかなり。唯今ある文を見れば、「長き物忌に、うち續き若座といふわざしては、愼みければ、今日なむいと疾くと思ふ」などいとこまやかなり。返り事物して、いとゞげにあめれど、世にもあらじ、今は人知れぬさまになり行くものをと、思ひ過ぐし