Page:Kokubun taikan 07.pdf/93

提供:Wikisource
このページは校正済みです

りと興じ奉りて、その頃のいひごとにこそし侍りしか。又一條攝政殿の御をのこ子、花山院の御時御門の御をぢにてよしちかの中納言と聞えし少將だちの御同じはらよ。その御時はいみじう華やぎ給ひしに、御門出家せさせ給ひてしかば、やがて我もおくれ奉らじとて花山寺まで尋ね參りて中日一日をはさめて法師になり給ひき。飯室といふ所にいとたふとく行ひてぞかくれ給ひし。その中納言文盲にはおはせしかど、御心だましひいとかしこく、いうそくにおはして、花山院の御時のまつりごとは唯この殿とこれしげの辨として行ひ給へればいといみじかりしぞかし。その御門をば內おとりのとめでたとぞ世の人申しゝ。「冬の臨時の祭の日の暮るゝあしき事なり。辰の時に人々參れ」と宣旨下させ給ふを、さぞ仰せらるともみうまの時にぞおはしますらむなど思ひ給へりけるに、舞人の君だちさう束賜はりに參りおはさうじたりければ、御門は御さう束奉りて立たせおはしましたりける。この入道殿も舞人にておはしましければ、この頃語らせ給ふなるを傳へてうけたまはるなり。あかく大路などわたるがよかるべきにやと思ふに、御門馬をいみじう興ぜさせ給ひければ、舞人の馬をこうらう殿の北のめだうよりとほさせ給ひて、あさがれひの壺にひきおろさせ給ひて、殿上人どもを乘せて御覽ずるをだにあさましう人々思ふに、はては乘らむとさへせさせ給ふに、すべき方もなくてさぶらひあひ給へる程に、さるべきにや侍りけむ、入道中納言さし出で給へりけるに、御門御おもていと赤くならせ給ひて、すぢなげにおもほしめしたり。中納言もいとあさましう見奉り給へど、人々の見るに制し申さむもなかなかに見苦しければ、も