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らずくるべきあるけば、いみじう興せさせ給ひて、をこれのみ常に御覽じ遊ばせ給へば異物どもはこめられにけり。又殿上の人々扇どもして參らするに、こと人々は骨にまきゑをし、或はしろがね、こがね、ぢん、紫檀の骨になむすぢを入れほりものをし、えもいはぬ紙どもに人のなべて知らぬ歌や詩や、又六十餘國の歌枕に名あがりたる所々などを書きつゝまゐらするに、例のこの殿はほねの漆ばかりをかしげに塗りて、黃なるかうがみの下繪ほのかにをかしきほどなるに、おもての方には樂府をうるはしう眞にかき、裏には御筆をとゞめて草にめでたくかきて奉り給へりければ、うちかへしうちかへし御門御覽じて御手箱に入れさせ給ひて、いみじき御寳と思しめしたりければ、ことあふぎどもは唯御覽じ興ずるばかりにてやみ侍りにけり。いづれもいづれも帝王の御感侍るにますことやはあるべきな。いみじきすくの給へる人なり。このかや院殿にてくらべ馬ある日、皷は讃岐の前司あきまさの君ぞうち給ひし。一番にはなにがし、二番にはかゞしなどいひしかど、その名こそおぼえね、勝つべき方のつゞみをあしくうちさげてまけになりければ、その隨身のやがて馬の上にのりながら、ないばらをたちて見かへるまゝに「あなわざはひや、かばかりのことをだにしそこなひ給ふよ。かゝれば明理行成と一雙にいはれ給ひしかども、一の大納言にて、いとやんごとなくてさぶらはせ給ふに、くさりたる讃岐の前司ふるずらうの皷うち損ひてはたちたまひたるぞかし」とはうごしたいまつりたるを、大納言殿聞かせ給ひて、「明理のらんかうに行成がしこな呼ぶべきにあらず。いとからい事なり」とて笑はせ給ひければ、人々いみじうの給はせた