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給ひにけり。まもりのこはくやおはしけむ、例のやうにはあらで、北の陣より藤壺後涼殿のはざまより通りて殿上に參り給へるに、こはいかに、「御消息奉りつるは御覽ぜざりつるか、かゝる夢をなむ見侍りつる。とくいでさせ給ひね」と聞えさせ給ひければ、手をはたとうちて、いかにぞとこまかにも問ひまさせ給はず、またふたつものものたまはで出で給ひにけり。さてぞ御祈などし給ひて、しばしは內へも參り給はざりけり。このものゝけの家は三條より北、西の洞院よりは西なり。今に一條殿の御ぞう、あからさまにも入らぬ所なり。この大納言殿萬にとゝのひ給へるを、和歌の方やすこし後れ給へりけむ。殿上にうたろぎといふ事出できて、その道の人々いかゞもだふすべきなど歌の學問より外の事もなきに、この大納言殿は物もの給はざりければ、いかなる事ぞとてなにがしとのゝ、「難波津にさくやこの花冬ごもり、いかに」ときこえさせ給ひければ、とばかり物ものたまはで、いみじうおぼし案ずるさまにもてなして、「えしらず」と答へさせ給へりけるに、人々笑ひてことさめ侍りにけり。少しいたらぬ事にも御たましひ深くおはして、らうらうしくなし給ひける御本性にて、みかどをさなくおはしまして、人々に「あそびものまゐらせよ」とおほせられければ、さまざまこがねしろがねなど心をつくして、いかなる事をがなとふりうをしいでゝもて參りあひたるに、この殿はこまつぶりにむらごの緖つけて奉り給へりければ、「あやしのものゝさまや。こは何ぞ」と問はせ給ひければ、「しかじかの物になむと申す。舞はして御覽じおはしませ。興ある物に」など申されければ、南殿に出させ給ひて舞はさせ給ふに、いと廣き殿のうちに殘