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しへの世はかくこそはありけれと聞かせ奉らむ」」といふめれば、今一人「「しかしか、いと興ある事なり。いでおぼえたまへ。時々さるべき事のさしいらへ繁樹もうちおぼえ侍らむかし」」といひて、いはむいはむと思ひたる氣色どもいつかと聞かまほしく奧ゆかしき心ちするに、そこらの人おほかりしかどものはかばかしく聞きわき、耳とゞむるもあらめど、人めにあらはれてはこのさぶらひぞよく聞かむとあとうつめりし。世繼がいふやう「「世はいかに興あるものぞや。さりとも翁こそ少々の事はおぼえ侍らめ。昔さかしき御門の御まつりごとのをりは國の內に年老いたる翁おんなやあると召したづねて、いにしへのおきての有樣を尋ね問はしめ給ひてこそは奏する事を聞し召し合せて世の政は行はしめ給ひけれ。されば老いたる身はいとかしこきものに侍り。若き人だち覺しなあなづりそ」」とて黑がいの骨の九つあるに黃なる紙はりたる扇をさし隱して、けしきだち笑ふほどもさすがにをかし。「「まめやかには世繼が申さむと思ふ事はことごとかは。唯今の入道殿下の御ありさまの世にすぐれておはしますことを道俗男女の御前にて申さむと思ふが、いと事多くなりて、あまたの御門きさきまた大臣公卿の御上をつゞくべきなり。その中に、さいはひ人におはしますこの御有樣申さむと思ふほどに、世の中の事のかくれなくあらはるべきなり。つてにうけたまはれば、法華經一部を說き奉らむとてこそまづ四經をば說きたまひけれ。それをなづけて五時敎とはいふにこそはあなれ。しかのごとくに入道殿の御さかえを申さむと思ふほどに、よきやうの說かるゝといひつべし」」などいふもわざわざしうことごとしう聞ゆれど、いでやさりとも何ば