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闍梨と申すの僧の夢に、この君達二人おはしけるが、兄の前少將はいたう物思へるさまに見え給ひ、この後少將はいと心ちよげなるさまにて見えたまひければ、阿闍梨、「君はなど心ちよげにてはおはする。母上は君をこそあに君よりはいみじうこひ聞え給ふめれ」ときこえければ、いとあたはぬさまのけしきにて、

  「時雨とはちぐさの花ぞちりまがふなにふる里に袖ぬらすらむ」

などうちよみ給ひて、又誦し給ひける、

  「昔契蓬萊宮裏月

   今遊極樂界中風」

とぞのたまひける。〈さて後小野宮の實資のおとゞの御夢に、おもしろき花の蔭におはしけるを、うつゝにも語らひ給へりし御中にて、いかでかくはいづくにいてかなとめつらしがり申したまひけれは、御いらへにこの詩はありけり。〉極樂に生れ給へるにぞあなる。かやうにも夢などしめい給はずとも、この人の御徃生を疑ひ申すべきにあらず。世のつねの君達のやうにうちわたりなどにても、おのづから女房とかたらひ、はかなき事をだにのたまはせざりけるに、いかなるをりにかありけむ、ほそどのに立ちより給へれば、例ならずめずらしくて物語聞えさせけるに、やうやう夜中などにもなりやしぬらむと思ふ程に立ちのき給ふを、いづかたへかとゆかしうて、人つけ奉りて見せたりければ、北の陣より出で給ひけるほどより、法華經をいみじくたふとく誦し給ひ大宮のぼりにおはして世尊寺におはしましつきぬ。なほ見れば東の對のつまなる紅梅のいみじう盛に咲きたる下に立たせたまひて、滅罪生善往生極樂といふぬかを西にむかひてあまた度つかせ給ひけり。歸り侍りて御有樣語りければ、いといと哀に聞き奉らぬ人なし。この