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   三十 つるのはやし


大鏡卷之五

   攝政謙德公伊尹

   攝政忠義公兼通

   恆德公爲光

   仁義公公季

   攝政大入道殿兼家

      已上九條殿息

     太政大臣伊尹のおとゞ

このおとゞ一條攝政と申しき。これ九條殿の一男におはします。いみじき御集つくりてとよかげとなのらせ給へり。大臣になり榮え給ひて三年、いと若くて天祿三年十一月一日にうせ給ひにき。御年四十九。御いみな謙德公と申しき。いと若くて失せおはしましたることは九條殿の御遺言をたがへさせ給へるけとぞ人申しける。されどいかでかはさらでもおはしまさむ。御葬送のさたをむげに略定に書きおかせ給へりければ、いかでかいとさはとて例の作法に行はせ給ふとぞ。これはことわりの御しわざぞかし。唯御かたち身のざえ、何事もあまりすぐれさせ給へれば、御命のみとゝのはせ給はざりけるにこそ。折々の御和歌などこそめでたく侍れな。春日の使におはしまして、かへさに女のもとに遣したりける、