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ことなりかしと思え侍りしか。正月一日つけさせ給ふべきぎよたいの損はれたりければつくろはせ給ふほど、まづ貞信公の御もとに參らせ給ひて、かうかうの事の侍れば內に遲く參るよしを申させ給ひければ、おほき大殿驚かせ給ひて、年ごろもたせたまへりけるとりいでさせ給ひて、やがてあえものにもと奉らせたまふを、ことうるはしう松の枝につけさせ給へり。その御かしこまりのよろこびは御心の及ばぬにしもおはしまさゞらめど、猶貫之にめさむと思しめして渡りおはしましたるを、待ちつけ申しけむめいぼく、いかゞはおろかなるべきな。

  「吹く風にこほりとけたる池のうへをちよまで松のかげにかくれむ」。

集にかきいれたることわりなりかしな。いにしへより今に限もなくおはします殿の、唯冷泉院の御ありさまのみぞいと心うく口をしきことにてはおはします」」といへば、さぶらひ、「「されどこのれいには、まづその御時をこそはひかるめれ」」といへば、「「それはいかでかさらでは侍らむ。その御門のいでおはしましたればこそは永く藤氏の殿ばら今に榮えおはしませ。「さらざらましかばこの頃僅に我は諸大夫ばかりになりいでゝ、所々の御ぜんの雜役につかれありきなまし」とこそ入道殿は仰せらるれば、源民部卿は、「さるかたちしたるまうちきみたち候はましかばいかに見苦しうはべらまし」とこそ笑ひ申させ給ふなれ。かゝればおほやけわたくしその御時の事をためしと思ふことわりなり。御物怪こはくていかゞとおぼしゝに、大甞會の御けいにこそいとうるはしくて渡らせ給ひにしか。それは人の目にあらはれ