Page:Kokubun taikan 07.pdf/78

提供:Wikisource
このページは検証済みです

殿さぶらはせ給ひて人々あまたさぶらひ給て、碁うたせ給ふついでに、冷泉院の孕まれおはしましたるほどにて、さらぬだに世ひといかゞと思ひ申したるに、九條殿「こよひのすぐ六つかうまつらむ」と仰せらるゝまゝに、「この孕まれ給へるみこ、男におはすべくは、でう六いでこ」とて打たせ給ひけるに、唯一どに出でくるものか。ありとある人目を見かはして感じもてはやし給ふ。我が御みづからもいみじとおぼしたりけるに、この民部卿の氣色いとあしうなりて、色もいと靑くこそなりたりけれ。さて後に靈にいでまして、その夜やがて「胸に釘はうちてき」とこそのたまひけれ。大かたこの九條殿、いとたゞ人にはおはしまさねにや。思しめしよる行く末の事などもかなはぬはなくぞおはしましける。口をしかりけることは、いまだいと若くおはします時、「夢に朱雀院の前に左右の足を西ひんがしの大宮にさしやりて北むきにて內裏を抱きて立てりとなむ見えつる」、とおほせられけるを、御前になまさかしき女房の侍ひけるが、「いかに御股痛くおはしましつらむ」と申したりけるに、御夢違ひてかく御子孫は榮えさせ給へど、攝政關白えしおはしまさずなりにしなり。又御末に思はずなるさまに御事のうちまじり、そち殿の御事などもこれがたがひたる故に侍るなり。いみじき吉左右の夢もあしざまに合せつればたがふと昔より申し傳へて侍る事なり。荒凉して心しらざらむ人の前にて夢がたりな、この聞かせ給ふひとびとしおはしましそ。今ゆくすゑも九條殿の御ぞうのみこそ、とにかくにつけてひろごり榮えさせ給はめ。いとをかしき事はかくやらむ、事なくおはします殿の貫之のぬしの家におはしましたりしこそ猶和歌はめざましき