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籠りたりければ、殿ばら「曉になどかくして臥し給へる。起きて念誦もせさせ給へかし」と申させ給ひければ、「今一度に」とのたまひしを、そのをりは思ひも咎められざりき。かやうの御有樣をおぼし續けゝるにやとこそこのをりには君達おぼしいでゝ申し給ひけれ。さりとてうちくんじやいかにぞやなどある御氣色もなかりけり。人よりことにほこりかに心ちよげなる人がらにてぞおはしける。この九條殿は百鬼夜行にもあはせ給へるは何ほどゝいふことはえ承らず。いみじう夜更けて內より出させたまふに、大宮より南ざまへおはしますにあはのゝ辻のほどにて御車のすだれうち垂れさせ給ひて「御車牛もかきおろせかきおろせ」と急ぎ仰せらるればあやしと思へどかきおろしつ。御隨身御前どもゝ「いかなる事のおはしますぞ」と御車のもとに近く參りたれば、御したすだれうるはしく引き垂れて御さくとりてうつぶさせ給へるけしきいみじきを人に畏まり申させ給へるさまにて坐します。「御車はしぢにかくな。唯隨身どもはながえの左右のくびきのもとにいと近く侍ひて、さきをたかくおへ。雜色どもゝ聲せさすな。御前どもゝ近くあれ」と仰せられて尊勝陁羅尼をいみじう讀み奉らせ給ふ。牛をば御車のかくれの方にひきたてさせ給へり。さて時中ばかりありてぞ御すだれ上げせさせ給ひて、「今は御牛かけてやれ」と仰せられけれど、つゆ御供の人々は心えざりけり。後々にしかじかの事のありしなど、さるべき人々にこそは忍びて語り申させ給ひけめどさるめづらしき事はおのづから散り侍りけることにこそは。元方の民部卿のうまご、まうけの君にておはする頃御門の御庚申せさせ給ふにこの民部卿參り給へるさらなり、九條