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者を宣下せられて都の事管領あるべきよしうけたまはる。天の下唯この御はからひなるべしとてこのひとつわたり喜びあへり。六月六日東寺より常の行幸のさまにて內裏へぞ入らせたまひける。めでたしとも言の葉なし。去年の春いみじかりしはやと思ひいづるもたとしへなく、今も御供の武士どもありしよりは猶なし〈二字恐衍〉。いくへともなくうち圍み奉れるはいとむくつけきさまなれど、こたみはうとましくも見えず、たのもしくてめでたき御まもりかなと覺ゆるも、うちつけめなるべし。世のならひ時につけてうつる心なればさぞあるらし。先陣は二條富小路の內裏につかせ給ひぬれど、後陣の兵は猶東寺の門まで續きひかへたるとぞ聞えしはまことにやありけむ。正成もつかうまつれり。かの名和の又太郞は伯耆守になりてそれも衞府のものどもにうちまぜたる、めづらしくさまかはりて、ゆすりみちたる世の氣色かくもありけるをなどあさましくは歎かせ奉りけるにかと、めでたきにつけても猶前の世のみゆかし。車などたち續きたるさま、ありし御くだりにはこよなくまされり。物見ける人の中に、

  「むかしだにしづむうらみをおきの海に波たちかへるいまぞかしこき」。

むかしのことなど思ひあはするにやありけむ。金剛山なりしあづまの武士どもゝさながら頭を垂れて參りきほふさま漢のはじめもかくやと見えたり。禮成門院も又中宮ときこえます。六日の夜やがて內裏へ入らせ給ふ。いにし年御ぐしおろしにき。御惱なほをこたらねばいつしか五壇の御修法はじめらる。八日より議定行はせたまふ。昔の人々のこりなく參りつ