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二月あり。後のきさらぎのはじめつかたよりとりわきて密敎の祕法を試みさせ給へば、夜も大殿ごもらぬ日數へてさすがいたうこうじ給ひにけり。心ならずまどろませ給へる曉方、夢うつゝともわかね程に後宇多院ありしながらの御面かげさやかに見え給ひて聞えしらせ給ふことおほかりけり。うちおどろきて夢なりけりとおぼすほどいはむ方なく名殘かなし。御淚もせきあへず、さめざらましをとおぼすもかひなし。源氏の大將須磨の浦にて父御門見奉りけむ夢の心ちし給ふもいとあはれにたのもしう、いよいよ御心づよさまさりて、かのしほぢが御むかへのやうなる釣舟もたよりいできなむやと待たるゝ心ちし給ふに、大塔の宮よりもあま人のたよりにつけて聞え給ふ事絕えず。都にも猶世の中しづまりかねたるさまに聞ゆれば、よろづにおぼしなぐさめて關守のうち寢るひまをのみうかゞひ給ふに、しかるべき時のいたれるにや、御垣守に侍ふつはものどもゝ御氣色をほの心えて靡き仕うまつらむと思ふ心つきにければ、さるべきかぎりかたらひ合せておなじ月の廿四日のあけぼのにいみじくたばかりてかくろへゐて奉る。いとあやしげなるあまの釣舟の樣に見せて、夜ふかき空の暗きまぎれにおしいだす。折しも霧いみじうふりてゆくさきも見えず、いかさまならむとあやふけれど御心をしづめて念じ給ふに、思ふかたの風さへ吹きすゝみて、その日の申の時に出雲の國につかせ給ひぬ。こゝにてぞ人々心ちしづめける。同じ廿五日伯耆國稻津浦といふ所へうつらせ給へり。この國に名和の又太郞ながとしといひて、あやしき民なれどいとまうに富めるが類ひろく心もさかさかしくむねむねしきものあり。かれがもとへ宣旨を遣