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隨ひ聞ゆるものいと多くなり行きければ、六波羅にもあづまにもいと安からぬ事ともてさわぎて、猶かの千はやをせめくづすべしといへば、つは者などのぼり重なると聞ゆ。正成は聖德太子の御墓の前を軍のそのにしていであひかけひき寄せつ返しつ鹽のみちひく如くにて年はたゞくれ暮れはてぬれば、春になりて事どもあるべしなどいひしろふもいとむづかしう心ゆるびなき世のありさまなり。さても日野大納言俊光といひしは、文保の頃始めて大納言になりにしをいみじき事に時の人いひさわぐめりしに、その子この頃院の執權にて資名といふ、又大納言になりぬ。めでたくたびをさへ重ねぬるいといみじかめり。前の御代にも定房一品して藤房大納言になされなどせしをば、かうざまにぞ人思ひいふめりし。內には女御もいまださぶらひ給はぬに、西園寺の故內大臣殿の姬君、廣義門院の御傍に今御方とかや聞えてかしづかれ給ふをまゐらせ奉り給へれば、これや后がねと世人もまだきにめでたく思へれど、いかなるにか御おぼえいとあざやかならぬぞ口をしき。三條前大納言公秀のむすめ三條とてさぶらはるゝ御腹にぞ宮々あまたいでものし給ひぬる。つひのまうけの君にてこそおはしますめれ。

     第十七 月草の花

かの島には春きても猶浦風さえて浪あらく、渚の氷もとけがたき世のけしきにいとゞおぼしむすぼるゝ事つきせずかすかに心細き御すまひに年さへ隔たりぬるよとあさましくおぼさる。さぶらふ人々もしばしこそあれいみじくくんじにたり。今年は正慶二年といふ。閏