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近江國高島といふわたりに、むかしのゆかりの人々尊く行ひてすむ寺にぞたち入りぬる。萬里小路中納言藤房は常陸國につかはさる。父の大納言母おもとなど、老のすゑに引き別るゝ心ちどもいへばさらなり。身にかへて求めまほしう思へどかひなし。弟の季房の宰相も頭おろしたりしかど猶下野の國へながさる。平宰相成輔はあづまへと聞えしかど、それも駿河の國とかやにてぞ失はれける。又元亨の亂れのはじめに流されし資朝の中納言をも、いまだ佐渡の島にしづみつるを、このほどのついでにかしこにて失ふべきよしあづかりの武士におほせければ、このよしを知らせけるに思ひまうけたるよしいひて、都にとゞめける子のもとにあはれなる文かきてあづけゝり。既にきられけるときの頌とぞ聞きはべりし。

  「四大本無主

   五溫本來

   將頭傾白刄

   但如夏風

いとあはれにぞ侍りける。俊基もおなじやうにぞ聞えし。かくのみ皆さまざまに罪にあたり遠き世界にはなちすてらるゝ、おのおの思ひ歎けども筆にもおよびがたし。大塔の尊雲法親王ばかりは虎の口を遁れたる御さまにて、こゝかしこさすらへおはしますもやすき空なく、いかですぐしはつべき御身ならむと心苦しくみえたり。隱岐の小島には月日ふるまゝに、いと忍びがたうおぼさるゝ事のみぞ數そひける。いかばかりのをこたりにてかゝるうきめを見るらむと前の世のみつらくおぼし知らるゝにも、いかでその罪をも報いてむとおぼして、打ちたへて御精進にて朝夕つとめ行はせ給ふ。法のしるしをも心みがてらとかつはおぼ