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ひしたる氣色などはかうざまの御ありきとは見えず、いとやんごとなくなむ。さはいへど今まで國のあるじにて世をもいみじう治めさせ給へりける名殘にやあらむ、いとねんごろにのみつかうまつれり。「いにしへの御幸どもにはかうはあらざりけり」とぞふるき事知れる人々いひ侍りける。四月一日の頃、百敷の宮の內おぼしいでられて

  「さもこそは月日もしらぬ我ならめ衣がへせし今日にやはあらぬ」。

出雲の國やすぎの津といふ所より御船にたてまつる。大船二十四艘、小舟どもはしに數知らずつけたり。遙におしいだすほど今一かすみ心ぼそうあはれにて、まことに二千里の外の心ちするも今さらめきたり。かの島におはしましつきぬ。昔の御跡はそれとばかりのしるしだになく、人のすみかもまれに、おのづから蜑の鹽やく里ばかりはるかにていとあはれなるを御覽ずるにも、御身のうへはさしおかれて、まづかの古への事おぼしいづ。かゝる所に世をつくし給ひけむ御心のうちいかばかりなりけむと、哀に忝くおぼさるゝにも、今はたさらにかくさすらへぬるも何により思ひたちし事ぞ、かの御心のすゑやはたし遂ぐると思ひしゆゑなり、苔の下にもあはれとおぼさるらむかしとよろづにかき集めづきせずなむ。海つらよりは少し入りたる國分寺といふ寺をよろしきさまにとり拂ひておはしまし所にさだむ。今はさはかくてあるべき御身ぞかしとおぼししづまるほど、猶夢の心ちしていはむ方なし。そこら參りしつはものどもゝまかづれば、かいしめりのどやかになりぬるいとゞ心ぼそし。昔こそ受領どもゝ任のほどその國をしたゝめ行ひしか、この頃は唯名ばかりにて、いづくにも